ゆみの母は、子供、私の姉をお腹に授かったことで仕事からは距離を置いて、専業主婦に従事するようになっていた。母は、特に身体が弱いとか、健康に不安があったわけではないが、妊娠にはあまり適しない身体だったらしく、妊娠中の生活はとても大変だったらしい。妊娠中は、一緒に同居していた祖母にもいろいろと面倒をみてもらっていたらしかった。
早産で、出産するだいぶ前から病院に入院し、大変な難産の末、帝王切開にて姉は産まれた。姉が産まれた後も、母の体調は優れず、しばらく病院での入院生活は続いた。
ほかの出産した患者さんたちよりも、退院の日数が少し遅れてはしまったが、無事に産まれたばかりの姉を抱えて、母は病院を退院し、自宅に戻ってきた。。
生まれた子は女の子で、祥恵と名付けられた。
母の身体はあまり妊娠には適せない身体で、出産での母体への負担は大変なものとなってしまったようだったが、生まれてきた姉の身体には、その影響は全くなく健康そのもので、元気で活発な女の子だった。何よりも運動することが得意で、近所の公園では、男の子たちの先頭に立って、野球やサッカーに一日じゅう走り回っていた。
「ね、祥ちゃん。少し休憩しようよ」
男の子たちの方が疲れて、祥恵に声をかけることの方が多いぐらいだった。
「何もう疲れているのよ、ほらもっと頑張れ」
祥恵は、公園のベンチで疲れてバテバテになっている男の子たちのことを𠮟咤劇弁して、1人、ボールを蹴って、公園のグランドを暗くなるまでよく走り回っていた。母は買い物の帰りに立ち寄った公園で、元気に走り回っている祥恵の姿を見かけてよく眺めていた。
母は姉の出産ではさんざん苦労したし、産婦人科の先生からも、もう次の出産は無理かもしれないと言われていたので、元気に育っている祥恵の姿を眺めるのには、感慨深いものがあった。
「弟か妹がほしいな」
もう子供は1人で終わりと思っていた母が、2人目の子供を妊娠することとなったのは、祥恵を産んでから5年の歳月が経ってからのことであった。幼稚園の園長組になった祥恵が、ある日の夕食の時間に母につぶやいた一言がきっかけだった。弟がいれば、いつでも公園で野球のキャッチボールしたり、サッカーの練習ができるようになるし、家族での生活が充実し楽しいからというのだ。
「弟とサッカーや野球をするのは良いけど、生まれてきた子が女の子だったらどうするのよ」
「女の子だってサッカーできるよ」
「生まれてきた妹が、あなたと同じように運動大好きな女の子かどうかはわからないじゃないの。もしかしたら、お人形遊びとか、おままごとが大好きな女の子かもしれないわよ」
「そうだったら、私も妹とお人形遊びして遊んであげる!」
祥恵は、母に約束した。
そして、母は2人目の子供をお腹に授かった。私だ。