今井ゆみ X IMAIYUMI

多摩美術大学 絵画科日本画専攻 卒業。美大卒業後、広告イベント会社、看板、印刷会社などで勤務しながらMacによるデザイン技術を習得。現在、日本画出身の異色デザイナーとして、日本画家、グラフィック&WEBデザイナーなど多方面でアーティスト活動中。

1 今井歯科医院

私は、父の父親、祖父には一度も会ったことがない。

父の話では、父の父親、私の祖父は「ザ・昭和」というぐらいにとても厳格な人だったらしい。祖父は、慶応大学の医学部を卒業していて、ずっと医師として働いてきた人らしかった。

大学の医学部を卒業すると、そのまま大学院に残り、研究室でずっと細菌の研究に費やしてきた。大学院を卒業してからは、大学付属の病院に就職し、病院の副院長に昇進するまで医師として勤務してきた人だ。周りからは、そのまま病院に残っていれば、近いうちには院長にまでなれるだろうと言われていた暁に、祖父は病院の地位や権力には何の未練もなく退職し、個人病院を開院した。

祖父は、世田谷の電車も通っていないような利便性の悪いエリアに「今井歯科医院」という歯科医院を開院した。

当時、日本は戦後の状況下で、国内には、まだまだ個人の歯科医院など殆ど無い状況だった。そのせいで、人々に歯の治療とケアが行き届かず、歯から起因した病気で、大学病院に通院してくる患者さんが多かった。特に、歯のケアが行き届かず、歯から起因した病気で通院してくる子供の患者さんが多かった。病院で、そういった多くの子供の患者さんを診てきた祖父は、これからの医療には、大きな附属病院よりも、個人開業の小さな歯科医院こそが必要だと考え、副院長の座を捨て、退職したそうだ。

そんな祖父の考えに賛同して、祖父と一緒に病院を退職し、今井歯科医院で歯科衛生士をすることになったのが、父の母親、私の祖母だった。祖父と祖母は、世田谷の不便な場所で開業した「今井歯科医院」の経営を必死に頑張っていくなかで、結婚し夫婦となったようだ。そして、父が生まれた。

当時の医療は、大手の病院経営ばかりが主流で、個人経営で病院を開院しようなどと考える医師は少なく、2人は大変な苦労をして、今井歯科医院の経営を軌道に乗せたそうだ。

父が、祖父と祖母に自分も医師になりたいと告げたときには、今井歯科医院の経営は大きく儲かるほどではないが、一人息子の父を大学に進学させてあげられるぐらいまでには、順調に経営できるまでにはなれていたようで、そのおかげで父は、祖父と同じ慶応大学の医学部に進学できたそうだ。

祖父の今井歯科医院の経営がうまく順調にいっていなかったのならば、父はせっかく医師になりたいと決意しても、医学部に進学することは出来ずに、商学部の高校を卒業後、小さな商事会社に就職し、そこで商社マンとして働いていることになったらしかった。

ちなみに、父の妻、私の母は、大手商事会社で役員にまで昇進し、ニューヨーク、マンハッタンに大きな経営コンサルタント事務所を構えるまでになった両親、私のもう1人の祖父と祖母のもとで、特に苦労することもなく、慶応大学の医学部に入学し、卒業して医師にまでなった人である。

父は、2人が今井歯科医院の経営を頑張っている姿を眺めていて、自分も医師になろうと決意したそうだ。

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