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お姉ちゃんと同級生

ゆみは、中学1年生になった。

それは、ゆみが8歳になる年の春のことだった。
ゆみが通う東京の武蔵野にある明星学園は自由な教育を教育方針とする学園で、日本の学校よりもアメリカの学校に近いアメリカナイズされた学校であった。学園には、小学校1年生の小等部から始まり、中等部、高等部の高等学校まで続いていた。小学校1年生から2年、3年・・6年と続き、中等部の1年は7年生、8年生、9年生と続いていき、高等部は10年、11年、12年と続いて卒業となっていた。

アメリカナイズされた明星学園では、特に1年生から2年、3年と順番に進級しなければならないというルールがあるわけではなく、勉強ができる生徒は「飛び級」といって1年生から、2年生は飛びこえて、いきなり3年生に進級する生徒もいた。そんな生徒の中でも、さすがに3年生から7年生に飛び級で進級する生徒は珍しかった。

ゆみは、未熟児で生まれ、身体が弱く、普通の子より免疫力も低かったため、他の同い年の子たちと一緒に外で遊ぶことが出来ず、いつもずっと家の中で過ごしていた。姉の友だちが家に遊びに来たときも、免疫力の低いゆみは、姉たちが遊んでいる部屋からは、いつも隔離されていた。

そんなわけで、普段、両親や姉の家族以外とは接することがなかったゆみにとって、本だけが唯一の友だちだった。同い年の子が読むような本については、あっという間に読破してしまい、3歳のときには、5歳上の姉の本が置いてある本棚の本を普通に読むようになっていた。5歳になる頃には、本によっては父や母の本棚に置いてある本までも読むようになっていた。

同い年の子よりも身体の弱かったゆみは、掛かりつけのお医者さんから家から外への外出許可が出ず、保育園や幼稚園には通わないで、家で過ごしていた。お医者さんから外出許可が出たのは、6歳の年のときで、その頃には5歳上の姉の本を難なく読めるようになっていた。

この子は、本の知識があるから中途半端に幼稚園の年長組に通うよりも、いっそ4月から1年生として小学校に通った方が良いのではないかと掛かりつけのお医者さんには言われた。東松原周辺、近所の公立小学校はどこも7歳からしか入学させてくれなかったが、そのとき姉が通っていた武蔵野の私立明星学園では、年齢とかは一切関係なく、その生徒の能力で入学させてもらえた。

「お姉ちゃんと同じ学校なら何かあっても安心ね」

お父さんは、次女にまで学費の高い私立の学校へ通わせるのは反対だったみたいだが、身体が弱かったゆみの体調を心配したお母さんの考えで、武蔵野の明星学園に姉と一緒に通うことになった。

6歳で小学校の1年生になったゆみは、7歳のとき飛び級で3年生に進級した。そして、8歳になる年、姉が13歳になる年に、ゆみも姉と一緒に中等部の1年生、7年生に進級した。

ゆみの入学式につづく

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