今井ゆみ X IMAIYUMI

多摩美術大学 絵画科日本画専攻 卒業。美大卒業後、広告イベント会社、看板、印刷会社などで勤務しながらMacによるデザイン技術を習得。現在、日本画出身の異色デザイナーとして、日本画家、グラフィック&WEBデザイナーなど多方面でアーティスト活動中。

1 ニューヨークで出生

母は、お腹の中の私とともに、大きなお腹でニューヨークのケネディ空港に到着した。既に、母の母親、私の祖母が車で空港に迎えに来てくれていて、母は祖母の車に乗ると、久しぶりの実家に帰ってきた。

「なつかしい」

その日は、実家に暮らしていた頃、ずっと住んでいた自分の部屋のベッドで落ち着いて、ぐっすりと眠れた。母が子供の頃から暮らしてきた懐かしい実家に戻ってくると、精神的にも気持ちが落ち着いたのか、日本にいたとき、あれだけひどかった妊娠によるつわりもいくらか和らいだようだった。

子供の頃、生理があるとか、なにかとお世話になっていた近所の産婦人科の先生に診てもらいながら、母は妊娠中のお腹を抱えて、実家で穏やかに過ごしていた。

そして出産の時を迎えると、母は祖母に付き合ってもらって病院へ行き、そこでお腹の中の私のことを産んだ。実家で暮らせたことで精神的にも落ち着いて出産できたとはいえ、やはり1人目の祥恵のときと同様に、母の出産は難産だった。姉の祥恵の時の出産よりも、もっと難産だったかもしれなかった。

「2人目の子と、この先産むかもしれない子とどちらを取りますか」

出産中、母は医者から究極の選択を決断させられたぐらいだ。母体の安全のため、この子は諦めて、次の3人目以降の子が出産できるようにするか、いま頑張って、この子のために出産して、その代わりにこの子以降の子の妊娠の可能性を諦めるかという選択が迫られたのであった。

「この子を・・」

母は、頑張って私のことを出産してくれたので、いま私が生きていられることになったようだった。もし、このとき母が3人目以降の子のことを考えていたら、私はこの世に誕生していなかったのかもしれなかった。

母も、自分の身体の状態、直観でさすがに、この身体で3人目の子供を産むことは無理だろうなって理解していたのかもしれない、だから私のことを産んでもらえる決断してもらえたのかもしれない。それでも最終的には、姉の出産のときと同じように、帝王切開による出産となった。

そして、私は母のお腹の中から産まれた。

母が産む前の出産時も大変なおもいをしての出産だったが、産んだ後の私も大変だったようだ。姉の場合は、母は出産では苦労したが、産まれた後の姉自身の身体は健康そのもので、大きな産声とともに元気に誕生していた。が、私の場合は、出産後も超がつくぐらいのチョー未熟児で産まれていた。

チョー未熟児の、その未熟度は大変なもので、通常の大気では過ごすことができず、産まれるやすぐに医師の手で、そのまま保菌室の中に入れられた。それからしばらく2週間ぐらいはずっと私はその中で過ごすこととなった。結局そこから出て、母の腕の中に抱かれたのは、産まれてから3週間ぐらい経った後のことだった。

「女の子よ」

母は、産まれたばかりの私を抱きかかえて、実家に戻ると、日本にいる父に国際電話で報告していた。ゆみという名前は、女の子だという報告を母から受けて、父が名付けてくれたものだった。

「女の子だって、おまえの妹だ」

姉は、父から妹ができたことを聞いてとても喜んでくれた。

「いつ、会える?」

「1ヶ月ぐらいでお母さんと一緒に帰国するだろうからそうしたら会えるぞ」

父は、姉にそう説明した。が、ゆみが日本に帰国できたのは、それから7年後のことだった。ちなみに、ゆみが生まれたのはアメリカの病院なので、出生国で国籍が決まるアメリカでは、私のためにアメリカ国籍を用意してくれた。もちろん、日本人のお父さん、お母さんから生まれたので、日本は日本で私のために日本国籍も用意してくれていた。私は、2つの国の国籍を持つこととなった。

「かわいいね」

祖母は、生まれたばかりの私のことを抱きながら、嬉しそうに微笑んでいた。祖母にとっては、姉に続いて、私が2人目の孫になるのだ。このままずっと、ここアメリカの地で私のことを育てたかったみたいだが、母親と同じぐらいに日本で待っている父親だって、自分の娘に早く会いたいだろう。そう思うと、自分の娘、私の母には、一刻も早くゆみのことを連れて、日本に帰国させてやりたかった。

しかし、その願いは叶わず、それから7年間はずっと孫と一緒に同じ家で暮らせることとなるのであった。チョー未熟児で生まれた私だが、ようやく保菌室から出て、外の世界で過ごせるまでには成長できた。とはいえ、まだまだ同年齢のほかの子たちに比べたら身体は弱く、家の中で過ごすのがやっとだった。

月に一度の病院での診察日以外、ゆみはずっと家の、部屋の中でしか過ごすしかなかった。

家の窓からは。ゆみと同じぐらいの年齢の男の子や女の子たちが表で元気に遊びまわっている姿を見かけることもあったが、ゆみは強い日光の光が当たる家の外には一切行けず、いつも部屋の中で過ごしているしかなかった。

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