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49 スタート!
「それでは皆さん、頑張って行ってきてください」
校長先生は、中等部の学生たち皆の前で、マラソンは体調とかが大事ですから気分が悪くなったらすぐに側にいる救護係に声をかけてください、など走っているときの注意点をさんざん述べた後、そう締めくくった。
「それではスタートしますから並んでください」
体育の椎名先生の号令で、生徒たちは皆、狭山湖脇の道路のスタートラインに並んだ。
「位置について、スタート!」
椎名先生は、ピストルを持った手を高く上げてピストルの号砲を鳴らした。それと同時に、生徒たちはスタートラインを抜けて走り出した。
一番前の方には、中等部最年長の9年生たちが多く並んでいたのだが、祥恵も佐藤たちと一緒にちゃっかりその中に混じっていた。そして、9年生たちと一緒に最初の方にスタートを切っていた。
「行ってくるね」
「頑張って」
生徒たちは、担任の先生や救護係の生徒たちに見送られて、笑顔でスタートしていた。
「救護係の人たちは、それぞれ移動の車で担当のところまで移動してください」
放送が流れて、救護の人たちは、マラソンコースの各エリアに設置された水の配布場所に移動していく。ゆみもマラソンは走れないので、救護係になっていた。
いつもの体育の授業だと一緒に見学していた、かおりもいなくなってしまったし、1組からの救護班はゆみ1人だけだった。ほかにも救護係でマラソンには参加しないけど、救護のお手伝いはするという生徒たちがこんなにいてくれる。ゆみには、1人でなく彼らと救護班できることがちょっと嬉しかった。
「ゆみ君も一緒に行こうか」
ゆみに、そう声をかけてくれたのは、音楽の大友先生だった。大友先生と一緒に4組の田中もいた。
「はい」
ゆみは、大友先生と田中と一緒に途中の水の配布場所までハイエースに乗っていく。
「田中君も走らないの?」
「うん。ちょっと目の調子が良くなくて」
4組の田中は、ゆみに聞かれて答えた。田中は、ひょろっとした細長い男子だ。眼科医には、田中の目はあまり良くないので、読書はしない方が良いと言われているのに、どうしても本が好きで手放せなくて、ついつい読んでしまうため、たまに目の調子が得あるくなることがあった。
「先生、今日はあたしと一緒にいてくれるの?」
「そうだね。1組の佐伯先生は、元気に生徒たちと一緒に走りに行ってしまったからね」
大友先生は、答えた。
「佐伯先生、なんか黄色の派手なジャージだった」
「うん、そうだね」
「後ね、塚本先生なんかもっと派手なショッキングピンク色のジャージだったんだよ」
塚本先生とは、英語の女性教師だ。2人とも真新しいジャージ姿で1組の生徒たちと混じってマラソンを完走してくるつもりで張り切っていた。
「確かに、塚本先生のジャージは目にも眩しく鮮やかなジャージだったな。ゆみ君は、さすが女の子ね。人のファッションとかよく見ているな」
大友先生は、ゆみの頭を撫でながら笑顔で言った。
ゆみたちの乗ったハイエースは移動して、マラソンコースの途中、途中のエリアで乗っている人間を少しずつ降ろしていく。3箇所目のエリアに来たとき、
「さあ、降りるぞ」
大友先生に言われて、ゆみも、田中もハイエースから降りた。ここは、ちょうど狭山湖の北側あたりの地点だった。そこには折りたたみの机と椅子が並べられて、その上にテントの屋根がついていた。ここで、ゆみたちは机の上に置かれた水のボトルを走ってきた生徒たちに手渡すのだ。
狭山湖の西武球場前に設置されたスタートラインを走り出した生徒たちは、狭山湖の周りをぐるっと一周してゴールに戻ってくることになっていた。
湖畔の途中、途中のエリアで走っている生徒たちが脱水症状にならないように、水を支給する場所が作ってあるのだった。
「ゆみは、ここで先生と一緒に配る水を渡しやすいように区分けよう」
大友先生に言われて、ゆみは水のボトルが置かれた机の前の椅子に腰掛けてボトルの整理をする。田中は、ほかの救護係とともにランナーに渡す水を持って待機している。
「最初のランナーが到着したな」
大友先生が、走ってくるランナー、生徒を見つけて言った。田中が、そのランナーに水の入ったボトルを手渡した。その後、次々とランナーがやって来て、田中たちは走ってくるランナーたちに水を配るので忙しそうだった。ランナーの中には、その前のエリアで水をもらっているのか、ここでは水をもらわずに走っていってしまうランナーもいた。
「あ、お姉ちゃん来た」
ゆみは、走ってくるランナーの中に祥恵の姿を発見して叫んだ。
「ほら、水をあげてくれば」
大友先生が、ゆみに水のボトルを手渡してくれた。ゆみは、先生にもらった水のボトルを持って、走ってくる祥恵のすぐ側まで行って、水のボトルを差し出した。
「ううん」
祥恵は、黙って首を横に振って、水のボトルを受け取ってくれずに走っていってしまった。
「ゆみちゃん、ちょうだい」
祥恵の後ろから走って来た佐藤が、ゆみに水を要求してくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「頑張ってください」
佐藤は、ゆみからもらった水を一口飲むと、そのまま走っていった。
「お姉ちゃんは、もらってくれなかった」
ゆみは、テントの大友先生のところに戻ると告げた。
「きっと、その前のエリアでもらって飲んでいたんだろうな」
大友先生は、ゆみに言った。
殆どのランナーが、この地点を通過していってしまうと、戻ってきたハイエースに余った水を積んで、さらに先の給水エリアに移動することとなる。
「大友先生、あと3人まだ、この場所を通過していないんです」
「わかった。俺とゆみの2人で、ここに待機していよう」
「お願いします」
ハイエースの係りは、大友先生に3人分の水ボトルを手渡すと、車に乗って、次の給水ポイントに移動してしまった。ゆみは、大友先生と2人だけで、この場所に残されてしまった。先生と2人で、テントの下に置かれた折りたたみ椅子に座って、最後のランナーが走ってくるのを待っていた。
「はあ、はあ」
疲れた顔でやって来たのは、麻子と4組の由香、茉奈の3人だった。
「麻子、頑張れ!」
ゆみは、麻子に水ボトルを手渡しながら、声をかけた。
「あ、ゆみちゃん。もう疲れたよ」
「私、もうリタイアしたい」
疲れた顔はしていたが、それでも麻子は先へ向かって走っていった。由香は、もうダメって感じでリタイアしたいと弱音を吐いていた。
「どうする、リタイアするか?」
大友先生は、由香に聞いた。
「あと、どのぐらい?もう半分以上は走ったよね」
「いや、まだまだ。ここまでで1/3ぐらいだ」
大友先生は、由香に答えた。
「私、もう少し頑張ってみる」
茉奈は、先へと走っていった。それを見て、由香も疲れた足取りで、前へと走っていく。2人の姿を見送ってから、大友先生とゆみは給水エリアの荷物やテントを片付けていると、ハイエースが戻ってきた。車に荷物を積んだ。
「ゆみ。あっちのカローラに乗って行こう」
ゆみは、大友先生に誘われて、次の給水ポイントまでは、ハイエースには乗らずに、別のカローラに乗っていく。
「ちょっと気になってな」
大友先生は、カローラの車内から前を走っているはずの由香の姿を探していた。
「あいつ、たぶん最後までは走れないだろうな」
大友先生に言われて、カローラの運転手は速度を落として、由香の後をゆっくり追いていく。由香の走りが遅くなって、走るのをやめて、歩きだすようになってから声をかけると、リタイアしたいと返事があったので、車の中に招き入れて、ゆみが水のボトルを渡した。
「ああ、美味しい」
由香は、車の後部座席に腰掛けて、ゆみが手渡した水のボトルを飲んでいた。今年のマラソン大会最初のリタイアとなってしまった。