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伊豆急
「お父さん、いってらしゃい」
ゆみは、出かけるお父さんと祥恵に手を振っていた。
「それじゃ、先に出発しているから」
お父さんは、自分の車の運転席に乗りこむと、お母さんに言った。祥恵は、お父さんの車の助手席に乗りこんだ。
「バイバイ!」
お母さんとゆみが手を振るのに見送られて、お父さんの運転する車は、ヨットが置いてある横浜のヨットクラブ、マリーナへと走って行った。
「どうして、お父さんたちが先に行くの?」
ゆみは、お父さんの車が見えなくなってしまうと、お母さんに聞いた。
「ヨットは走るのが遅いんですって。だから、下田まで行くのに半日かかるから、今夜のうちに横浜のマリーナを出航して、夜中走り続けないと、明日の夕方までに下田にはたどり着けないんだそうよ」
「下田って、そんなに遠いんだ」
ゆみは、お母さんと家の中に戻りながら言った。
「あたしたちも、早く出なくても大丈夫なの?」
「ゆみとお母さんは、電車で行くから、明日の朝に出発すれば、十分に下田まで到着できるわよ」
「ふーん、電車って早いんだね」
「そうね」
家の中に戻ると、時刻はもうそろそろ夜の9時になる。
「あたし、お風呂に入るね」
ゆみは、寝る前のお風呂に向かった。ゆみがお風呂に入っていると、後からお母さんも一緒のお風呂に入ってきた。
「今日は、お母さんも、ゆみと一緒に早寝しようかと思って」
ゆみは、お母さんとお風呂に入って、出てくるとパジャマに着替えて、2階のベッドルームに上がった。
「今夜は、お父さんも祥恵もいないし、お母さんと一緒に寝ようか?」
「うん!」
ゆみは、お母さんに大きく頷いた。そして、ゆみがいつも寝ている祥恵とゆみの部屋ではなく、お母さんと一緒に2人でお母さんとお父さんの部屋に入った。
「ゆみは、お父さんのベッドで寝なさい」
そういうと、お母さんは、2つ並んだベッドのうち、いつも寝ている右側のベッドの方に入った。ゆみは、お父さんのベッドに少し入ったが、すぐに出て、隣のお母さんのベッドの中に潜り込んだ。
「お母さんと一緒に寝たいの?」
「うん」
ゆみは、お母さんに甘えながら黙って頷いた。
「お父さんのベッド、すごく大きい」
「そうね。ゆみには、まだまだ大人用のベッドは大きすぎるかもしれないわね」
お母さんは笑った。
「今日は、何時に出るの?」
ゆみは、翌朝朝食を食べた後に、お母さんに聞いた。
「そうね、お昼頃に出ましょうか」
「荷物、何を持っていったらいいの?」
ゆみは、着替えとかいろいろ準備しなきゃと思いながら、お母さんに聞いた。
「特に、何も持っていかなくても大丈夫でしょう」
「え、何も?」
ゆみは、お母さんに聞き返した。
「そのために、昨日、お父さんの車にぜんぶ荷物を持っていってもらったでしょう」
「そうか。あれ以外は何も持っていかなくても良いのか」
ゆみは答えた。
「何か、ゆみが昨日の荷物に入れ忘れたものがあるのだったら、持っていきましょう」
「ううん、特にない」
ゆみは答えた。
「メロディも、美奈ちゃんも、まりちゃんも皆、お父さんたちと一緒に行ってしまったんだものね」
「そうね」
お母さんは、ゆみに言った。
「ほら、大好きなブータ先生を連れていくんだったら、持っていけば」
お母さんは、玄関先の戸棚の上に置きっぱなしになっていたブータ先生のぬいぐるみを指さしながら、ゆみに言った。
「ああ、うん。ブータ先生は連れていってあげなきゃ」
ゆみは、ブータ先生のぬいぐるみを手に取りながら、お母さんに返事した。そのブータ先生のぬいぐるみは、別に玄関先にゆみが置きっぱなしにしていたわけではない。たぶん、ブータ先生が自分で玄関先の戸棚のところにやって来たのだろう。
「さあ、伊豆へ行こうか」
ブータ先生は、ゆみに抱かれると言った。
「ええ」
ゆみは、肩から小さなポシェットを提げ、ブータ先生を抱きながら表に出た。お母さんも、小さなバッグを片手に提げて家を出ると、戸締まりをしっかり確認していた。
「お母さんの車で行かないの?」
ゆみは、駐車場に入れっぱなしのままのお母さんの車を見ながら聞いた。
「向こうでは、ヨットで移動しなきゃならないのに、車で行ったら困るでしょう」
「そうか、そうだよね」
ゆみは、お母さんと手をつなぐと井の頭線に乗るために東松原駅をめざし歩いていた。
「下田ってどうやって行くの?」
井の頭線の中に貼ってある路線図を見ながら、ゆみはお母さんに聞いた。
「この路線図には載っていないわね。東京駅に行って、そこから伊豆急って電車に乗って行くのよ」
お母さんは、井の頭線が終点の渋谷駅に到着すると、そこから山手線に乗り換えて東京駅を目指していた。ゆみは、一生懸命迷子にならないようにお母さんの後にくっついて歩いていた。
「ほら、この白と緑の電車が伊豆急、伊豆の下田に向かう電車よ」
お母さんは、東京駅のホームで伊豆急の説明をしてくれた。
「そうなんだ。あたし、電車とかぜんぜんよくわからない」
ゆみは、お母さんについて伊豆急の電車に乗りながら言った。
「そうね。ゆみは、学校のお勉強とかは一度聞いたら忘れないのに、どこかに移動したりするときに乗る電車の種類とか行き先はあんまりよく知らないわよね」
「たぶん、お姉ちゃんみたいに、あっちこっち1人でお出かけできないからかも。来年、高校生になったらもっと1人であっちこっちお出かけしたいな」
「そうかもね」
お母さんは、窓側の席に座ったゆみの隣の席に腰掛けながら答えた。
「でも、まだ来年は高校生だから少し早いかな。高校卒業して、大学に行くようになったら1人でもお出かけできるように頑張ってみようか」
お母さんは、ゆみに言った。来年、高等部に入学したとしても、飛び級で進級しているゆみの実年齢的にはまだ10歳なのだ。
「お弁当、買ってこようか?」
「うん」
伊豆急が出発するまで、まだ少し時間があるようなので、お母さんと駅のホームに駅弁を買いに行くゆみだった。
下田につづく