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82 千葉の保田港
「まだ着かないの?」
横浜のヨットクラブを出航してから、もう何時間か経つのに、一向に千葉に到着する様子がなかった。対岸の千葉を目指すどころか、未だに横浜の横の方、観音崎とかいう岬を目指して、ヨットは走っているだけだった。
「もうお昼になちゃうよ」
ゆみは、そろそろ狭いヨットの上のデッキで過ごすのにも飽きてきていた。
「お腹すいたか?」
お父さんが、ゆみに聞いた。
「少しだけ」
「それじゃ、お昼にしようか?」
「お昼って?」
ゆみは、お父さんに聞いた。お父さんは、キャビンの中に入ると、今朝ゆみが、お母さんと一緒に作ったおにぎりとかが入ったお弁当を持って出てきた。
「え?ここで食べるの?」
「ほかに食べる場所なんかないぞ」
お父さんは、皆が座っているヨットの後部デッキの中央にテーブルを広げて、そこへお弁当を広げた。
「お茶も飲むか?」
「お茶なんて持ってきていないよ」
「お茶ぐらいなら大丈夫」
お父さんは、そう言うとキャビンの中、入り口入ってすぐのところにある小さなシンクとガスコンロが置かれたところで、やかんにお水を注ぐとお湯を沸かし始めた。
「そこって台所なんだ」
ゆみは、お父さんがお湯を沸かすところを見て言った。
「そうだよ。ここで、なんでも好きなお料理を作れるんだぞ」
「なんでも・・って」
ゆみは、お父さんの言葉に思わず笑ってしまったが、
「ほら、お米を炊きたければ、このお鍋に米を入れて炊ける。なにか焼きたければ、フライパンだってお鍋だってあるぞ。調味料も、ここの棚になんでも一通りは揃っているからな」
お父さんは、ゆみに自分のヨットの台所を自慢していた。
「お米って、そんなお鍋で炊けるの?」
炊飯器でしかお米を炊いたことのないゆみは、お父さんに聞いた。
「炊けるさ!」
「ゆみは、行っていないかもしれないけど、今年の八ヶ岳の山では飯ごう炊飯っていってお鍋みたいなものでお米を炊いて、カレーライスを作ったんだよ」
夏休みの学校行事、八ヶ岳の登山に行ってきた祥恵が答えた。
「さあ、いただきましょうか」
お母さんが言って、皆はヨットのデッキの上でお昼ごはんになった。お父さんが湧いたお湯で、温かいコーヒーと紅茶を作ってくれた。
「お父さんの作ったごはん食べるの初めて」
ゆみは、お父さんの淹れてくれた紅茶を飲みながら感動していた。
「大げさだな、紅茶を淹れただけじゃないか」
お父さんは、そう言いながらも、なんだか嬉しそうだった。
「ヨットだと、お父さんも結構お料理とかするんだよね」
祥恵は、お父さんに言った。
「お父さんの得意料理ってなに?」
「そうだな。よく作るのはパスタとか、ハンバーグとか作ったことあるな」
「うわ、お父さんの作ったパスタ食べてみたい!」
「よし、それじゃ、今回のクルージングでは、お父さん特製のパスタを、ゆみに食べさせてあげよう」
お父さんは、ゆみに言った。
それから、お昼ごはんを食べ終わると、皆はヨットのデッキの上で静かになった。お父さんと祥恵は、ヨットを操船するのに夢中になっていた。
お母さんとゆみは、デッキの背もたれに寄りかかって、お腹もいっぱいになったし、うとうとしていた。
「あ、美奈ちゃん。お出で」
ゆみは、キャビンから出てきた美奈に声をかけた。美奈は、ゆみのお膝にやってくると、そこの上で丸くなった。すると、ギズちゃんとまりちゃんもやって来て、美奈と同じように、ゆみの膝の上で丸くなっていた。
いつも、家にいるときも美奈がゆみのお膝の上で丸くなると、ギズとまりもやって来て一緒に丸くなるのだった。優しい美奈は、自分が少しゆみのお膝の中からはみ出しても、ギズとまりに、ゆみのお膝の上を譲ってくれるのだ。
「いい子、いい子」
そんな美奈、ギズ、まりの3匹の頭を平等に撫でてあげるゆみだった。
「あれ、なに?」
猫たちの頭を代わる代わる撫でていたゆみは、その感触が少し違うのに気づいて、膝の上の猫たちを確認し直した。と、そこに猫たちに混じってブータ先生までもが丸くなっていた。
「え、ブータ先生!」
「しばらくだな。ゆみ殿はヨットでクルージングとは自分だけ豪勢なことしておるではないか」
「それで来たの?」
「しばらく、夏休みでゆみ殿とも会えていなかったしな」
「ブータ先生も一緒にクルージングに行く?」
「ああ」
ブータ先生は、ゆみに答えた。
「え、ゆみ。ブータ先生も連れて来たの?」
祥恵は、ゆみがブータ先生という声に振り向き、膝の上に乗っているブータ先生のぬいぐるみに気づいて言った。
「あんた、いつの間に、そのぬいぐるみを持ってきたの?」
「うん、まあね」
ゆみは、祥恵に聞かれて返答に困っていた。
「ほら、祥恵。そろそろ東京湾を横断するぞ」
祥恵は、お父さんに言われて、緊張しながら周りの船の様子を確認していた。
東京湾には、多くの本船、タンカーや旅客船、貨物船などが引っ切り無しに走っている。それら大型船の間をぬぐって、お父さんのヨットは対岸の千葉を目指して横断しなければならないのだった。
「右舷、タンカー来ます!」
「左舷から貨物船が入ってきます」
お父さんと祥恵は、緊張した表情でヨットを進めていく。
ヨットが無事、東京湾を横断し終えると、ヨットは、そのまま対岸に見えてきた小さな漁港の中に入港していった。
千葉の旅につづく